今回は高崎城について紹介します。
高崎にはJR高崎駅から西に15分ほど歩いたところに高崎城址が
といっても公園の一部に堀や櫓跡があって、縄張りを見ることが出
いくつか残っている遺構を紹介したいと思います。
高崎城は高崎藩の藩庁として活用されていました。
現在は三の丸の一部と堀、乾櫓、
- 高崎城の歴史
・和田城の時代: 高崎城のある場所には、古くは和田城がありました。和田城は平
安時代末期にこの地の豪族、和田義信によって築かれたと伝えられています。室
町時代には関東管領に属し、戦国時代には上杉謙信、武田信玄、北条氏といっ
た有力大名の間で争奪が繰り広げられました。豊臣秀吉の小田原征伐後、和田
城は廃城となりました。
・高崎城の築城: 1598年(慶長3年)、徳川家康の命を受けた箕輪城主・井伊直政に
よって高崎城が築かれました。この際、和田城の跡地を取り込む形で縄張りが
なされました。築城と同時に城下町の整備も進められ、箕輪城下から多くの寺
院や町が移されました。
・井伊氏以降: 井伊直政は高崎城に3年在城した後、彦根へ移封となりました。そ
の後、城主は頻繁に変わりましたが、1619年(元和5年)には安藤重信が5万6千
石で入城し、その子孫が3代77年間高崎藩主を務め、高崎城の完成に尽力しまし
た。
・廃城とその後: 明治時代の廃藩置県後、高崎城の多くの建物は払い下げられ、陸
軍の兵営や練兵場が建設されるなど城内は大きく改変されました。現在では、
三の丸の堀と土塁、そして移築復元された乾櫓、移築された東門などがわずか
に往時の面影を伝えています。
高崎城の見どころ
- 乾櫓(いぬいやぐら): 本丸の北西隅に位置していた二層の櫓で、武器や食料の貯蔵庫として使われていました。明治維新後に払い下げられましたが、後に現在地に移築復元されました。群馬県内に現存する唯一の城郭建築であり、県の重要文化財に指定されています。

乾櫓 - 三の丸外囲の土塁と堀: 現在、比較的良好な状態で残っているのが三の丸を取り囲んでいた土塁と堀です。当時の広大な城郭の一部を偲ぶことができます。

堀 - 東門: 三の丸の東側にあった門で、こちらも移築され現存しています。

東門 - 高崎城址碑: かつてここに高崎城があったことを示す石碑が建てられています。

高崎城碑 - 歩兵第15連隊跡碑

見どころは多くないですが都市部の公園の一部として憩いの場になっているようです。